沿革

 三菱の創業4代目岩崎小彌太氏が戦前、地方出身の若い三菱マンのための独身寮「思斉寮」を巣鴨に創設した。昭和32年「思斉寮」出身でゴルフをこよなく愛する人々から、「若い三菱マンが気軽にプレーが出来るコースを考えては」という声が大きくなり三菱グループによるゴルフ場建設計画が浮かび上がった。

当時三菱でゴルフをする長老の一人であった是永桃吉氏を座長に、「思斉寮」出身者など8名により昭和32年7月湘南カントリークラブ発起人会が結成された。9月に株式会社湘南カントリークラブが設立され、昭和33年10月クラブ設立総会が開かれた。

 折から昭和32年のカナダカップで日本が個人、団体とも優勝し第1次ゴルフブームが起こる中、三菱グループ20社(現在は28社)の出資と資金支援が具体化、候補地の選考と用地買収が進められた。 コース設計は、発起人の一人である赤星平馬氏の旧制成蹊中学の後輩で、当時既に10コースを手掛け、コース設計の第1人者になっていた井上誠一氏に依頼することとした。井上誠一氏は快諾し、赤羽根のコース予定地を最初に見た時に、「こんな良い土地は銀座の真中で財布を拾うようなもの」と表現したという。

この言に意を強くし赤羽根の地にコースを造ることとなったが、用地の買収に苦労し、関係者の大変な努力の末、昭和34年11月に9ホールで仮オープン、昭和36年4月に高麗とベントの2グリーンのパー70のコースとして、正式オープンにこぎつけることができた。仮オープン時は、バラック建のハウスがあるだけで、昼食といったら途中で駅弁を購入しクラブへ持参、風呂は4~5人入ると満員といった今では考えられない設備での門出であったという。

しかし、コース内の用地問題は依然として残っており、これらに目途が付き名実共に井上誠一設計のパー72のコースとなったのは、昭和46年末のことであった。
その後、高麗グリーンのベント化、11番ホール池造成、6番ホール池移設、10番・18番ホール西側斜面削り込み、12番ホール西側市道付替え等々、コース改修工事を進めてきた。平成16年乗用カート導入、平成18年新クラブハウス建設など、設備の充実にも取り組み、クラブの評価を高めてきた。

 

 新クラブハウス完成を期にクラブと株式会社の2組織体制を株式会社組織に1本化し、経営と運営の統一をはかった。会員のためのゴルフ場として会員が運営に参画する伝統は堅持されている。
名門としての風格・伝統を守り、三菱グループのゴルフ場として、名匠井上誠一設計のコースとして、創設の歴史と実績を誇りに更に成長していく。

 

 姉妹・提携コース

クラブ名

提携形式

提携年月

西宮カントリー倶楽部

姉妹コース

平成15年6月

大利根カントリークラブ

姉妹コース

平成24年9月

箱根カントリー倶楽部

姉妹コース

平成28年4月

大洗ゴルフ倶楽部

提携コース

平成23年9月

葛城ゴルフ倶楽部

提携コース

平成24年7月

日光カンツリー倶楽部

提携コース

平成29年4月